全ての人の尊厳が認められる未来へ
なごみの里創設者で現代表の柴田久美子による、なごみの里設立 〜 2004 年前半までの里内のエピソードとなごみの里の理念を説明する書籍です。
本書の「はじめに」の部分を佼成出版社様の許可を得て、掲載しています。
自分の生まれた島で安らかな最期を迎えたい――そんなお年寄りの願いを叶えために、私は島根県の知夫里島に看取りの家「なごみの里」を建てた。人口わずか七百七十人。隠岐諸島の南端に位置するこの島には、入院設備の整った病院はない。たった一人の医師が小さな診療所で島民のいのちを守っているのだ。道路には信号機がなく、人間よりも牛の通行が優先される。本土(島根半島)へ渡る唯一の交通手段も一日数便のフェリーしかない。もちろん、二十四時間営業のコンビニエンスストアーなど存在しない。都会の暮らしに比べれば、不便極まりない生活と言っても過言ではないだろう。しかし、この島には豊かな自然があり、私が追い求めていた「人間らしい生と死」があった。それは老人介護の世界で悲しい現実を数多く目にしてきた私にとって、何よりも大切なものに思えた。
私はかつて福岡県の老人福祉施設で働いていた。そこではあの世へ旅立とうとしているお年寄りが、次々と病院に送り込まれていった。延命治療によって、いわば強引に生かされるのである。安らかな最期を願う動らにとって、これほどつらい日々はないだろう。そんな光景に耐え切れず、私は平成十年に知夫里島に移住。訪問介護の仕事を経て「なごみの里」を作るに至った。
私は特定の宗教を信仰しているわけではないが、人間の力を超える大きなエネルギー(=神仏)の存在を信じている。そんな私がインドのコルカタ(旧カルカッタ)にあるマザーテレサの施設「死を待つ人の家(カリガート)」をテレビで見たとき、その画面に釘づけになった。そこはスラム街の路上で死にかけている人々が、人間らしい最期を迎えるための施設だったからだ。
「日本の皆さん、日本にも苦しんでいる人がいることを知って下さい。その方の痛みを思い出して下さい。それは決して大げさなことではないのです。どうぞ、その方に手を貸してあげて下さい。これが私の願いです」
マザーテレサのやさしい笑顔に、私の心は大きく揺らいだ。と同時に、今もなお孤独に耐えながら、病院や老人ホームのベッドに無言で横たわるお年寄りの姿が思い浮かんだ。その後、知人から送られてきたビデオ『マザーテレサとその世界』(千葉茂樹監督作品)を、私は毎晩のように見続けた。
「死を待つ人の家」で暮らす人の多くは、死に際に「サンキュー」と言って旅立って行くという。人生の最後の最後に「ありがとう」と言ってこの世を去って行く。逝く者にも、送る者にも、大きな愛が与えられる尊い瞬間だ。それこそが私が心の底から求めてやまない看取りであり、私が探し求めていた「人間らしい死」なのである。たとえ、人生の九十九パーセントが不幸であったとしても、最期のときが幸せなら、その人の人生は美しいものに変わるであろう。
「マザーテレサのように生きたい」。真顔で語る私を知人は笑う。それでも私はマザーテレサの教え「清貧」を胸に、日常の小さな行為を通して愛の担い手になれるようにと祈っている。
私はお年寄りのことを高齢者ではなく、幸齢者と書くことにしている。それはお年寄りを看取るたびに、彼らは私に計り知れないほどの幸せを授けてくれるからである。私は今、「なごみの里」で三人の幸齢者と生活を共にしている。何気ない暮らしの中で見つけた小さな幸せを、一人でも多くの人と分かち合いたい。そして、幸齢者の尊さと死の尊さを伝えていきたい。そんな思いが私にこの本を書かせてくれた。
全身全霊を捧げて「なごみの里」の活動に取り組む職員の松山美由紀さん、そして、至らない私をいつも支えてくれる他の職員やボランティアさん、全国の支援者の皆さんに心から感謝を申し上げる。
本書を書き上げるにあたり、お世話になった一人ひとりの名前を列挙したいのだが、そのことでご迷惑をかけてしまうケースも少なからず生じるため割愛させていただく。またプライバシー保護の観点から本文に出てくる名前は、原則として仮名とさせていただいた。この本を手にした皆さんに、一人ひとりのいのちの尊さと生きることの素晴らしきを感じていただければ幸いである。最後まで頑固な私とつき合い、励まし続けてくれた佼成出版社の平本享也氏のご尽力に手を合わせている。
心静かに生きとし生けるもの、すべての平安を祈りながら――。感謝。合掌。
本当に多くのお手紙を頂いております。とても全てを紹介することはできませんので、一部抜粋してお伝えいたします。
各地の大型書店様にて探して頂くか、下記のインターネット上の書籍販売サイト様をご利用下さい。
また、なごみの里でも注文を承りますので、遠慮なくご連絡下さい。