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特定非営利活動法人 なごみの里

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ありがとうから見えてきたもの

はじめに

この文章は 2006 年 4 月から 1 年間、ボランティアで勤務していた河合惇さんによる、ボランティア活動の報告書を、河合さんの許可を得て掲載したものです。

プロフィール

愛媛県出身。

来里時は豊田高等専門学校 電気・電子システム工学科 3年生の高専生。JYVA(社団法人青年活動奉仕協会)の青年長期ボランティア計画(ボランティア365プログラム)に参加、2006 年 4 月よりなごみの里でボランティアとして働くことに。2007 年 4 月より、元の豊田高等専門学校に復帰。

「ありがとうから見えてきたもの」(V365活動報告) 河合惇

「1年間日本のどこかでボランティア」

この文字が僕の目に入ってきた。

「なんかいいかも。」これが第一印象である。

この言葉は、僕の心の片隅にひっそりと、そして確実に残っていた。

その頃の僕は高専に通う 3 年生、週 6 日の部活と週 4 回のアルバイト、そして一番大切なはずの授業。テストやレポートに追われながらも、部活やアルバイトを勉強が出来ない理由にしたくなかったので、休み時間などを利用して必死に勉強をしていた。ただ 3 年生ともなると専門の科目が増え、授業内容も複雑になり、内容を理解できないままテストの為に勉強することもあった。その中で、この勉強が自分に合っているのか、このまま工業系の仕事に就いて、それで良いのだろうか。そんな疑問を抱くようになっていた。自分の存在さえも見失いかけていた頃だった。

そんな中で出逢った言葉だった。当時を振り返れば、ただ現実から逃げ出したかっただけなのかもしれない。「ボランティア」ならば、親や学校にも示しがつくと思った。一度学校という枠から離れてみたい。自分を見つめ直す時間が欲しい。自分の将来をゆっくりと考えてみたい。そして僕は、ボランティア 365 へ参加することを決意した。

4 月の事前研修を終え、隠岐知夫里の地に降り立った。活動先は『なごみの里』。何も分からず飛び込んできた僕を温かく迎えてくれたのは、 4 人の「幸齢者様」と 10 数名のスタッフの方々だった。

『なごみの里』は、島で最期を迎えたいという島民の願いから生まれたひとつの家。それぞれの願う最期を迎えていただくために常に意思を尊重し、幸齢者様の「尊厳」を守ることを大切にしている。

介護・福祉というものに初めて関わる僕にとっては、関わるすべてが分からないこと、戸惑うことの連続だった。オムツ交換は、何度も見て学んだにも関わらず、実際にやってみると思うようにできず、また、他人の爪を切ることがこんなにも緊張するということも知った。他にも沢山失敗を重ね、悩み続けた。こんなにも、日々の生活の手や足となることが難しいことを気づかせてくださった幸齢者様。こんなに未熟な僕に対しても、「ありがとう」と手をあわせてくださる幸齢者様の懐の深さに、ただただ頭が下がる思いだった。

活動を始めて 1 週間が過ぎた。まだまだ戸惑いの最中にある頃、村のお祭りの日に帰宅される 1 人の幸齢者様に同行することになった。御仏前に車椅子のまま進み、手を合わせる。その瞳には涙がたまっていた。「やっぱり我が床はいいなぁ。」と一言。 2 時間ほどの帰宅、ずっと車椅子の上で過ごす。本当は、ここにベッドがあるはずだった。家というかけがえのない存在と、家族という大きな存在、そこにある大きな溝。そんなものを感じた。「これからは家族を大切に思い、「ありがとう」と素直に口に出そう」と心に誓った 1 日。そして僕にも、僕の家族にもいつか死というものに直面する時が来る、ということに気づかされた 1 日だった。

なごみの里では、 1 日の中で一番多く時間を使うのが掃除である。「場を清め、心を清める」という言葉にもある通り、自分を磨く、自分と向き合う大切な時間である。トイレ掃除に学ぶ会に参加し、最初は顔を背けながら、やっていた掃除も最後には、心がこもってきて便器に頭を突っ込み、もっと時間が欲しいと思うまでになっていた。「小さな事を疎かにしていては大きな事はできない」という事も、ここで学んだ事である。また、幸齢者様にとってはなごみの里しか居場所がない。生活する空間が美しくなければ、健康で快適な生活を送ることは決して出来ない。「 1 本の注射よりも衛生的な空間」、かのナイチンゲールもこのような言葉を残している。自分の為、幸齢者様の為にまだまだ励みたいと思った。

6 月に、幸齢者様の立場になって考えてみよう、という話が持ち上がり、全員でオムツ体験をする事となった。いつも交換しているオムツだが、いざ自分で付けてみると違和感があり、排尿をしようと思ってもなかなか出来ない。勇気を振り絞って出してみると、肌を伝う冷たい感覚、漏れやしないかという不安。そして肌に残るべたべたした感じ、動きにくく重たい。僕は我慢できずにシャワーへ駆け込んだ。こんな状態で毎日を過ごしている幸齢者様。好きな場所に行くことも、好きなものを食べる事も出来ない。いくつものことを我慢して諦めて、そんな中でも僕らに笑顔を見せ、申し訳ない、ありがとうと感謝の言葉を口にする。死を目前にして不安と戦いながらも、生きていることへの喜び、生きていく強さ、そんな中から僕は「幸せとは何だろうか」と考えた。長生きする事、お金持ちになること、高い地位に立つ事、そんな薄っぺらな物に惑わされ、自分を見失っていた。そんなことではなく「今生きていること、これこそが最高の幸せ」ではないだろうか。人間は必ず死を迎える。だから今を生きる。そんな事に気づかされた。

ある日、訪問を行っていた幸齢者様が亡くなった。僕はただ買い物を手伝うだけで、直接顔を会わせたことはなかった。しかし 1 人の方がこの世から去ったという事実を受け止めたとき、多くの後悔が脳裏をよぎった。僕は「たかが買い物」と思っていなかっただろうか、「真心」を込めて仕事をしていたのだろうか。初めて死というものに出会い、命のはかなさを痛感した体験だった。

また 8 月には、 12 月に福岡で開催する講演会の責任者を任されることとなった。はじめは補佐の予定であったが、成り行きから僕が責任者となった。会場は、定員 300 名の大ホール。何から手をつけていいのか分からず、戸惑いながら準備を始めた。集客の為にチラシ作り、近隣の市町村に後援のお願い、支援者様や、福祉施設への案内。あっという間に講演当日を迎えてしまった。当日は荷物が届いていないなど、予想外のハプニングが起こった。他のスタッフ、当日ボランティアの方々に助けられてばかりだったが、なんとか終えることができた。定員の半分ほどしか集客ができず、人の心を動かす事の難しさを知り、また人の力の大きさも知る事が出来た。こんな僕に責任者という大役を任せていただき、多くのことを学ばせていただいた。責任の大きさに押しつぶされそうになる時もあったが、このような経験は滅多に出来る事ではない。任せてくださった代表、スタッフ名方々に感謝、感謝である。

ここには書ききれないほどの出来事があり、その中で人との出会いがあり、感動することも多くあった。そしてこの 1 年を通じて、数え切れないほどの事を学び、吸収したはずである。活動の中で僕が心掛けた事は、誰よりも明るい笑顔で元気に幸齢者様と接する事である。ケアの技術は一番下手だったと思う。でも、「こうしたらうれしいだろうな」ということは、常に考えるようにした。それが「真心」だと、勝手に解釈している。僕が活動することで、なごみの里に何を残す事が出来たのかという事については、自分ではよくわからない。しかし、フルタイムボランティアが存在したことによって、何か良い影響を与えることができたとするならば、とても嬉しい事である。   僕が、なごみの里で学んだ事を生かしていくのはこれからである。この日本には、選択の機会を奪われた高齢者の方々が大勢いる。とても小さな事ではあるが、まずは自分の親、祖父、祖母を大切にして、最期を看取りたいと考えている。そして僕の住んでいる町で、なごみの里の理念をどんどん広めていきたいと思う。少しずつでも日本という国が、死というものに向き合う国に変わっていくことを願っている。日本にもっと、なごみの里のような場所が出来れば、素晴らしい国に変わっていけると思う。

この V365 に参加して良かったと思う。当初の目的であった「自分の進むべき道を探す」という事も、少しずつだが見えてきた。僕はここで幸せというものをつかんだ。これからは、この幸せの種を多くの人と分けあえるようになりたいと考えている。 V365 は「風」に例えられることがある。僕は風となり、種を日本全国に、世界中に飛ばして行けたらと思う。本当にありがとう。

感謝・合掌

NPO法人なごみの里 河合惇

柴田久美子 講演予定

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書籍紹介

看取りの手びき 介護のこころ

『看取りの手びき 介護のこころ』書影


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