全ての人の尊厳が認められる未来へ

特定非営利活動法人 なごみの里

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鹿児島国際大学 助教授 田中安平様

はじめに

只今ご紹介頂きました、鹿児島国際大学の田中と申します。

私は鹿児島でなぜ柴田さんとのお付き合いがあるのかと思われるかと思いますが、大学の方、鹿児島の場合は奄美大島っていう島を抱えておりまして、その奄美大島のさらに離れた所に離島があるんですが、そこに加計呂麻島、請島、与路島という離島の離島を抱えている。人口が少ない島で、無医村の島もあるんですが、そこの高齢者の暮らしがどうなっているかと言う調査をしている中で、知夫村*1の 700 人ちょっと、沖縄の座間味村の 800 人ちょっとの所も調べまして、そういった関係でこの付き合いをさせていただいて、今日こちらでお呼び頂いたところでございます。

ご紹介頂きましたように、老人ホームの介護を 18 年、介護福祉士の世界を 23 年程おりました関係で、施設で看取った方ももちろんおりました。自分の両親は、私が大学の時に逝きましたので、直接看たっていうことはなかったんですが、たまたま今年の 4 月に家内の父親を看取りをしまして、そういった形で今日のシンポジウムの内容にとりかかろうと思います。

今日は青少年と書いてありました*2もんですから、今日レジュメをきってきた中身は若者達に言うような内容だったんですが、今日拝見しておりましたら、これ内容的に合わないのかなぁって思ったりしてます*3。そこは色々と混ぜながらですね、お話させて頂けたらと思います。

ペインクリニック - 「痛み」を緩和する

まず 1 番目にレジュメきりました、生きる事の意味、死ぬことの意味。現場にいた時によくあったことなんですが、やはり人は目標がないと生きるっていうのは難しいんですね。目標があるから生きておられるのです。

「もう死んだほうがマシだ」っていうお年寄りがよくおっしゃいます。その時は「今の状態が続くんだったら、死んだ方がマシだ。子供が会いに来てくれるんだったら、まだ長生きしたいんだ」っていう声なんですね。学生には言葉の裏を読み取れっていうような感じでよく伝えるんですが、その言葉の裏には「本当は今の状態が解消されたら、私は長生きしたいんですよ。だから、それを解消させるような状況を作って下さい」っていうような言葉があるわけです。今は介護福祉士を養成する教育に携わっているもんですから、介護福祉士としては、そこが読み取れないといけないっていう教育をしているところなんです。

踊りの好きな方が職員の方でおられたんですけど、仕事してるときは「腰が痛い。足が痛い」っておっしゃるんですよね。ところが敬老会とかで「得意な踊りを踊って下さいよ」と言うと、シャキッとして踊られるんですね。そしたら側から見た(他の)職員はあれは嘘じゃあないかと思うようになるんです。

しかし人間っていうのは、自分の好きなのやってる時はホントに痛みを忘れるんですよね。だからそういったところで、柴田さんがされているような看取りっていうかたちが出てくると思うんですよね。自分の心が許せる方が、そばにいて下さる。それで手を握って頂ける。そばにいるっていう、その共有する空間があるだけで痛みがなくなってしまう。

子供が倒れた時に「痛いの痛いの飛んでけー」っていうのがありますが、その時に子供の痛みは残っているんですよね。本当は痛みは抱えているんですが、親が手を触りながら「痛いの痛いの飛んでけー」って言うと、飛んでった感じですぐニコッてなる。痛みは抱えていても、その痛みがなくなる。

この看取りっていうのが難しいっていうのは、つまりペインクリニック、痛みっていうのがですね、医者がモルヒネを打つとか、癌の末期とかではそういったかたちをしないと対応出来ないっていう事情があって、どうしても、施設から病院、家から病院っていうような状況があるわけです。これもよく考えてみると、それは看取りのなかにおいて「手当て」っていって「手を当てる」っていう、それをやることによって充分在宅でも可能じゃないかなと今は思っております。

目標の内発的動機付け・外発的動機付け

で、この「目標をもって生きてる」ということにですね、内発的動機付けと外発的動機付けというのがあるんです。内発的動機付けっていうのはもう内から沸いてくる。目標に関しても、例えば 3 歳の子供が母親が調理をやってる時に手伝おうとする。その時に母親は「今はまだ小ちゃいからね、もうちょっとお姉さんになったら手伝ってね」。内発的動機付けを潰してしまうんですね。それで 5 歳になった時に「ちょっと手伝って」って言ってももう興味ありませんから、他に興味をもっていますから、手伝ってくれない。そしたら「なんで手伝わないのかなぁ」って文句を言う。

それはもうすでに内発的動機付けをなくしてしまったから、今度は改めて外発的動機付けからやり直さないといけません。そこを大体の教育者が間違った。その内発的動機付けをなくしてしまったら、改めて外発的動機付けをしなくてはならない。そういうことがわかっていくと、我々が介護する時にもですね、利用者の方の内発的動機付けをどう高めていくか、これが我々の仕事だっていうことになります。

ささやかな幸せっていう意味で「苦労の後の少しの喜び」ってよく言われます。よく寝ながら「天国だー極楽だー」っていうことを足や手などを伸ばして言いますね。じぁあ、試しに 3 日間ずっと寝てください。極楽だったら 3 日間寝ても極楽なはずですけど、 3 日寝っぱなしになると地獄に変わりますよね。

だから、寝たきり老人のそういった気持ちがわかるはずなんですよ。適当な疲れがあるからこそ極楽に変わるってこと。本当は、そういったことを今日は若者、青少年育成というかたちで喋ろうかなと思っていましたけども、皆さんに釈迦に説法したら時間の無駄ですので、ここらへんは飛ばします。

死の機会は平等・死のあり様は不平等

死は平等、誰にでも訪れるってよく言いますが、よく考えてみて頂きたいのは、誰にでも訪れるのは平等ですが、死のあり様は平等でないんですね。これは生のあり様が平等でないのと一緒ですね。生きてる事実の基においては皆平等なんです。しかし生き方は不平等ですよね。

これは何故かと言うと、不平等でないと、皆クローン人間のようなものですよね。皆平等だったら、私は 100m を 10 秒、誰も 100m を 10 秒、松井やイチローや……そんな人ばっかりでしたら、皆考えも一緒、味もそっけもないですね。一人一人違うから、初めて人生っていうのは喜びや楽しみがあるわけで。皆同じこと考えて同じようなことになったら、人生に楽しみはないと思いますけど、そこで一人一人違うっていうところに我々の価値観、一人一人の個人的な違いがあるっていうのがあります。「生きる」っていうのもそれぞれ一人一人の違いがあって、生き方も当然違うと。

当然、生き方が違うということは死に方も違う。病院で最期を迎える人もいらっしゃれば、家で迎えたいと思う人もいる。極端に言えば、野垂れ死にをされる方もいらっしゃるでしょう。その方が選ばれた人生の最終的な途上で、そういったかたちになる。

しかし、人生において真面目に頑張ってきた方であっても、最終的には機械の中にいれて、家族と会わないで、死ぬ場合もあるかも知れません。そこはそれぞれの方々の死に対する考えがないと、そういったことはできないとおもいますね。

田中先生の体験

私の家内の父親の場合は去年の 12 月の段階で救急車で運ばれて、その日はもう危篤だろうという状態だったんですがたまたまそれを乗り越えました。私がもうこういう仕事をしていますから延命はもうしない、心臓が止まったら、その時でおしまいにしようと。だから、その間ずっと家族が 24 時間つきっきりで、泊りながら(介護を)やってました。それが 4 ヶ月間続いたんですけど、私も病院から直接大学に行ったりというという形を取っていました。

色んな形態があると思いますが、段々段々こう脈が細くなっていって、最終的に息がとまり、またしばらくしてすぅーとして、またしばらくしてすぅーとして……。これが段々遠のいていって亡くなっていく。そういうような、本当に息を引き取るっていうような感じで亡くなっていく方々を、私は今まで施設で見送ってきましたが、その父親の場合はですね、そんな感じになるよな途中だったんですけど、瞬間的にパアンって脈が上がったんですね。で、そのままスパッと息を引き取りました。

その時にドクターが来て「もう電気ショックはやりませんね?」って言うから、もちろん「結構です」と。それで、父親の顔を叩きながら、もうちょっと頑張ってくれと、母親に連絡をして義理の母親に来てもらう間 10 分間、せめてもうちょっとなんとかもたないかなと思って手をさすりながら、せっかくここまで来たんだから頑張れよ頑張れよーって言ってたら、不思議と生き返ったんですよ。それで、母親が来るのを間に合ったんです。

今度、息子が来るまでは、ちょっと遠いもので 1 時間かかる。で、母親が来た段階でまた息がとまったんです。息子があと 40 分で来るんだから……ずっと 4 ヶ月看てきたわけですからね、だから息子が来るまでもうちょっと頑張れとやってたんですけど、もう機械も何もやってませんから、心臓は止まっているんですね。止まってるけど、叩いたりさすったりしてるうちに戻る。それから 2 回戻ったんですけど、最終的には息子が来る 5 分前に完全に息が止まって、そのままでした。だから 2 度息を引き返したんですよね。

そういうことも身をもって体験しました。私が両親ともに 20 代で亡くしましたので、私に経験させるためか、泊まり交代でしたからね、その前日に家内が泊まりまして、その日は私が泊まって交代っていう時だったんですが、たまたま家内も「今日はもう疲れたから家に帰るのをやめる」っていうことで泊まってて、たまたま 2 人一緒の時に我々 2 人の前で亡くなりました。

そういう人間の生きる死ぬっていうことに対すると、普段自分達がどう思っているかということが色んな意味で出て来ます。だから、学生達に対しても「生きるとは何ぞや」ということと「介護をやる関係においては、死ぬということ、生きるということを考えないと、ケアっていうのはできない」と。そこを強く言っております。

施設での苦悩を解消した、お年寄りの言葉

私が何故こういったことを考えるようになったかというと、このレジュメの行カッコの 3 に書いています。「今日も生きていたと言う施設入所老人の言葉の意味」。ここから私はとったんですね。

私は大学に全然関係ないところから介護の世界に入りました。ちょうど 5 年目の頃でしたけど、もう施設を辞めようとおもっていたんです。一生懸命ケアをして、リハビリをして、訓練して、寝たきりだった方が車椅子で自走できる所まで良くなるんですけど、また脳卒中の発作が起きて、最終的に死で全て終わってしまった。

私はいったい何をしているんだろうか、何の仕事をしているんだろうか、「男子一生の」っていったら、今は男女平等でよく怒られるんですけど、男子一生の仕事をかけるだけの価値があるのかと。全て死で終わるっていうかたちで、当時は辞めようと思っていたんです。その時にたまたま、このお年寄りが「あー、今日も生きていたかぁ」って朝起きて、その一言で私はずっと介護の仕事を続けてきたわけです。それが何故かわかりませんでしたから「どういうこと?」って聞きましたら「自分達は寝る時にもうこれで最期だと思って寝ている。明日は来ないと思って寝てる」。

それを聞いた時「あぁ、そうか」と。我々はお年寄りから何か頼まれた時に「ちょっと忙しいからまた明日ね」「また来週ね」って簡単に言います。しかしその施設にいらっしゃるお年寄りにしてみたら、今日は今日で 1 日でなくて、今日は全人生であるかもしれない。今日が全人生っていうことは、このお年寄りに関わるなかにおいて、この 1 日を 1 年分の、我々の 1 年、 5 年分の重みとして私が関わることができたら、例えかたちが何も残らないとしても、一生仕事をするだけの価値はあるんじゃあなかろうか。そういうことで、今まで続けることが出来たんですね。

これがなかったら、多分私は生きるとか死ぬとかいうことをわからないまま仕事を辞めてたと思います。いくらやっても高齢者介護は形が残らない。知的障がい者の方と関わる中で、山下清さんみたいに「こんな方に私が関わってこうだったんだよ」っていう形が残ると自分なりに納得いくかもしれないけど、高齢者との関わりは全て納得いくことが出来ないんですよね。形が残らないから。でも、自分の心の中にはあるんですよ。それに最初から気が付かなかったんです。 5 年目のその言葉からちゃんと自分�%

  1. 1 なごみの里の所在地です。

  2. 2 表題は「青少年育成シンポジウム」でした。

  3. 3 当日はどちらかといえば中高年の方が中心でした。

柴田久美子 講演予定

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書籍紹介

看取りの手びき 介護のこころ

『看取りの手びき 介護のこころ』書影


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