全ての人の尊厳が認められる未来へ
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えらい高いところ*1からすみません。よろしくお願いします。
まず、 1 つは私がどんなことをさせてもらってるかということ。そして 2 つ目は、死と向き合う。 3 つ目が、向き合ったからこそ……自分になれた、ということ。 4 つ目は、今、自分が何を考えているか。うまくそれを順に話せたらなと思ってます。お聞き苦しいことがあるかわかりませんけども、よろしくお願いします。
その前に……福田校長先生がとても素敵なことをおっしゃってくださったんですけども、「死にふれて感じる」。あの時ピピピと感じさせてもらって、ありがとうございます。
私自身は今、学習塾をさせてもらってます。その前は教員をさせてもらってましたが、すぐに辞めまして……それは父親が商売人で「後を継ぐなら店を持て・自分で進むなら自分で学費を稼げ」という商売人やったんで、それで学習塾させてもらってます。そこのことは「昔の町のお医者さん」という風に考えました。
それは「何でも屋さん」。とにかく何かあったらこちらから行かして頂くゆう。たまたま私自身が、それこそ神戸で一番早かった、まぁこう言うのはきらいなんですけど「こまどりの家」いいまして、毎週一回給食サービス。地域で高齢者の食事提供させていただいて、それが初めての高齢者との出会いです。それが 1 つの出会い……自分の活動するにおいて、ずっとそれが引きずった、いい意味での引きずりです。
それで、私自身は今は、主に行政と手を組んで 11 月 23 日に行われる心のふれあいコンサート、障がい者の為のコンサートなんかを常日頃させてもらってます。それもやっぱり、ホントに縁のありがたさですね。
次に移るんですけれども、私自身は、この「死」を意識して感じる前までは、お葬式がなんとなく嫌やったんです。それは、多分、タブー視をされてるいうのか……わかりませんけども「お葬式行ったら泣かないかん。辛そうな顔せないかん」という認識があって、あんまり……申し訳ないけど、縁のない人のところに行った時、泣けない自分がおったんですね。
それで、まぁ……お葬式、本来はお葬式の方を見送るねんけど、そばで、久しぶりやからぺちゃぺちゃ喋っとう方もおられたりして、これは自分の中でおかしいなという思いはしてました。それは、悶々と 30 代ぐらいまで、葬式行ったら泣かないかんとか、自然に涙が出る時はありがたいけども、どうしても泣けない自分というのもありまして……。
それがある日、皆さんご存知かと思いますけども、アルフォンス・デーケンさんの講演を聴いた時に、非常にいい意味での関心を持たしてもらいました。それから、瀬戸内寂聴さんが新聞で書かれたんですけれども、病院にお見舞いに行った時、見舞いに行かれた人(患者さん)が、ものすごく気を使っておられる。それは例えば、お見舞いに行ったら「私のために時間を取ってくれはった」……そういうことが非常に私の中に残りました。
それ以来、自分なりの見舞いの仕方ゆうたらおかしいけれども、今でも思い出します。近所で親しくさせてもらってた方が(入院して)車で行ったら 1 時間で行くけども、電車だと 1 時間半から 2 時間かかるんですよね。その 1 つの例としたら……私はどう行ったかゆうたら、ご主人が入院されてたんで奥さんの車の運転手代わりに私がなったんですわ。
本来は自分が行って「お見舞いに来てくれてありがとう」って言われたい自分がおるんやけども、たまたまその時に自分が運転手になって、何したかゆうたら、奥さんが(御主人に)会って私は車で寝てたんです。それも自分なりの見舞いの仕方。これはその人に「来てくれてありがとう」と言ってもらいたい自分もいるけども、家族が電車で行ったら 2 時間かかる、そういう部分を車で行かしてもらったら思いが伝わると、そう感じさせてもらいました。そして、その後色々経験させてもらった。
それから、ありがたいことに神戸には六甲緩和病院の沼野尚美さんゆう方がおられます。「菅野さん聴いてぇな」言うて親しい人が 10 年ほど前に講演テープを持ってきてくれはって、聴かせてもらった時にやはり頭をガーンと叩かれたような気がしました。それでやはりその方の出会い、沼野さんとの出会ったりしていく内に、本当に自分なりですけども、 1 つ 1 つそう言う……自分の中で違いがわかる自分ですか……生意気ですけども、そのように感じさせてもらいました。
そいから、そのたんびに「自分て何やろか」と。私に恩師がいまして、絶えず恩師がおっしゃってたのは「菅野、自己探求しなさい。自己探求しなさい」。会うたんびにそれをおっしゃってくれはったんです。その意味が全くわからなんだったんですけども、本当に何回も何回も、こう聞かせてくださってる内に、「これは自分はどういう意味なのか、これはどういう風に捕らえているのか」、あるいはぱっと話した時に「あっこれはどういう意味ねん」というふうに感じ取れるようになれました。
そして、柴田さんとの出会いは…… NHK の夜の深夜便「心の時代」を聞かせてもらいました。 2 日連続ありまして、 1 日目は、聞かせてもらって「ピピッと」……ごめんなさい。「ピピッ」というのは私自身、常にこうして(広げた手をアンテナにみたてて)自然にアンテナ張るという特技があったんです。だからその言葉にほんとに感じた時には、全身鳥肌が立つんです。
1 日目感じて、 2 日目に録音さしてもらって、仲間にテープを 30 本ほどですか、ダビングしてもらって「これ聞いて、これ聞いて」ゆうて……そうゆうような出会いであって、なおかつ柴田さんからとても良い言葉が出たんですわ。
私、学習塾をしながら、介護士の免許取ろう思うてて、国家試験を来年 1 月に受けます。そのために午前中だけ(介護職の)パートに行かしてもろてます。そこで汚物……要するにうんこさんをパンツ一杯にされたんですよね。やっぱり「嫌やな」という思いがあったんですけども、柴田さんが「うんこしたらすっきりするね」と、おっしゃられたことがあったんです。ホントに人としてそのように感じさせてもらったら、利用者の方にオムツ交換させてもらったり、綺麗に綺麗にしたら、その利用者の方がね……泣かれるんですよね。その時にこちらとすれば、まず仕事だからさせてもらう、と。そして 2 つ目はホントにすっきりした顔を見さしてもらったらこちらが……どないゆうたらいいかな。仕事をさせてもらっている思いがちゃんとしてるから、返ってくるんですよね。
それとやっぱり、もしその人の立場が変わった時、気持ちようしてもらったほうがありがたいし嬉しいし、ということなど日々感じながら、さしてもらってます。
その中で、そういうふうにホントにその一言一言が心に残り、(オムツを)換えさせてもらった時に……今(馬木の福田校長の話の中で)子供さんが言ってたような「話を聞いて死を考えることが出来ました」という、まさしくそういうことだなぁと思います。
その経験をする時に、ポーンと、それこそ小石を投げられる方が居てくださるありがたさ。それもフワーンと、自然に何か……自分にすっと入ってくるような感じをさしてもらってます。
今度 12 月 18 日に神戸でシンポジウムをします。去年は「死を通して学ぶ」ゆうて柴田さんをお招きさせてもらって、あるいは沼野尚美さん。神戸にはもう一人、藤井先生ゆうて学生達に「死のワークショップ」をされる、とても素敵な方もおられます。
そういうご縁を頂いて(講演会を)さしてもらった理由はなにか言いますと、もう中高年の自殺がものすごく多いゆうこと。それと私なんか小学生とか中学生の自殺は耐えられないんですよ。耐えられないからどうするかゆうた時に、自分で……何もしないことはできないんです。どれほど役に立てるかわからないけれども、やはりおかしいことはおかしい。そういう声をあげるなり、あるいは……今回は素晴らしい先生方がおられたんで、(講演会を)さしてもらいました。
今回の題名は「看取りの現状とその課題」です。それは何かと言いますと、私の中で「地域福祉」あるいは「地域介護」ゆう所までは、自分なりに早く考えていたんです。さっきもゆうたように、給食サービスですか……地域で毎週 1 回 100 食ほど作ってました。それでその時は私が一番若かったんで、私の担当はお皿洗い。その 100 人分のお皿をガーッと洗ってたんですけども、そこでは「地域"看取り"社会」に気がつかなかったんです。
自分自身の話になりますけど、父が「家で死にたい」と言う人だったんで、その時、元気なうちに「お父さん、どこで死にたい」って聞きました。やはり父親が「家で死にたい」ゆうことで、やはり自分の父親を意志として感じさせてもろたから、ちゃんとせなあかんと思いました。だから、
この 3 点はちゃんと聞いていました。
で、ある時に 3 日間寝たきりになりました。 4 日目はどうしてもこれは病院においとかな危ない思うて「お父さん、やっぱり病院行こう」ゆうたら、これはやっぱり我慢できなかったようで「行く」言いましたけど、その後に「 1 週間経ったら家に連れて帰ってきてくれ」と言いました。それに「守ります」ゆうて……。
その時にお医者さんとはやりあいましたけども。そこで「世間の目はどういう風に見てるのか」という部分はありました。しかし、それはやっぱり自分にとって、父親が明治の気質の人間なんで意志を貫いてずーっとつちかってきて、その死ぬ時には……自分も今考えるんですけども、自分の最期はやはり自分の意志で、例えば家で死のうが病院で死のうがかまへんから、自分で死にたい、自分の意志で死にたい……と気がつきましたんで、家で看取りました。
実はこの時はありがたかったですね。父親が弱ってから、私は仕事で普段はほったらかしで……寝る時だけは一緒に寝てまして。今も覚えています。夜中に目が覚めて……(父親は)息してたんですけど、今度私が目が覚めた時に、すーっと。冷たかったですね。だから、これは天が助けてくれたんかなと。要するに本人も苦しまずに、それこそこちらも介護の苦しみゆうんですか……長く続くんじゃなくて、なんとか乗りきれたゆう感じですかね。
話が前後しますけど、今のところはやはり「地域介護から地域看取り社会へ!」啓発したいと思います。それから「与えられる福祉より創り出す福祉」をやって行こうと……勉強会をしています。それができるかできないかはわかりませんけども。
で、やはり柴田さんのおっしゃるような「死んでいかれる方からのエネルギーの継承」ですか、これは、頭の中ではやはりわかってはいたんですけども、 7 月頃ですか「心の時代」の時に、東京にある養護施設の指導員の方がおっしゃられたですね……たまたま 2 回目のアンコールアワーを聞いたんやけど、ピタッと自分の中ではきたんです。ハイ、エネルギーの継承いうのは、自分の中で解釈できました。
そういう風な感じで取り留めのない話しをさせてもらいましたけど、自分自身としてはやはり最期は自分の意志で……どういう形になるかもわかりませんけども、自分で創れる範囲はやっぱりやっていってと、今のところは思っています。取りとめない話でしたが、お許し下さい。以上です。
1 演台。